ウィーンのススメ, 私の海外での過ごし方

ウィーンになぜ白馬が??

ウィーンは馬車がいっぱい

ウィーンに行くと馬車がいっぱい!!↑↑馬車自体は観光客がよく乗っています。よく見ると黒い馬と白い馬がいます。ホーフブルク に行くと宮殿内にスペイン乗馬学校があり、ワルツに合わせて馬が軽快にステップを踏む光景が見られ、公演も行われています。そこでよく見かける白馬はリピッツァナーという種類の馬です。

女性なら一度は憧れる?!白馬に乗った王子様💖(´∀`*)ウィーンの白馬には歴史があります。当時、神聖ローマ帝国の未来の皇帝となるフェルディナンド1世はボヘミア・ハンガリーの王女アンナと結婚し、ハプスブルク家はスペインやハンガリーにまで及ぶ広大な領地を手中に収めていました。フェルディナンド1世がスペインの王宮から最初に馬を輸入した1520年代、リピッツァナーの種馬の繁殖を行いました。1560年代、フェルディナンド1世の息子であるマクシミリアン2世はさらに新しい馬を輸入し、1580年になるとオーストリア大公カール2世は現在のスロベニアのリピカという村で馬を繁殖させます。リピッツァナーはリピカという村の名前に由来しています。

オーストリアの貴族がスペインで馬を見つけたのには理由がありました。7世紀からムーア人のおかげでイベリア半島にエレガントな馬がもたらされ、スペインは当時、馬の繁殖において最強だと考えられていました。その最強スペインの馬とイタリアの馬の血が混ざったリピッツァナーは、18世紀中頃までにヨーロッパの素晴らしい馬であると評判の馬になりました。

時を経て、リピッツァナーは度重なる戦争の中で、現在のスロベニアにあった種馬飼育場からの避難を強いられました。1915年から第一次世界大戦まで、ある馬達はウィーンの郊外へ、またある馬達は現在のチェコへと移送されました。1918年にハプスブルク家の支配が終わると、リピカはイタリア人の手に渡り、馬達はオーストリアとイタリアに分配されました。そして、イタリア人達は現在のスロベニアで種馬飼育場を運営し、オーストリア人達は1798年から帝国のために育てられていた軍馬を現在のグラーツの近くPiberへと移しました。その時に種馬達は主に英国の種馬とかけ合わされました。第二次世界大戦が勃発すると、ヒトラーの軍はオーストリアのPiberから馬を徴用し軍馬の繁殖を始めました。Piberにいたリピッツァナーは現在のチェコにあるホストウニ、ボヘミア地方を経てロシア軍により種馬が食されるという奇妙な境遇に見舞われるも最終的にはアメリカ軍によってリピッツァナーはオーストリアへと移送されました。現在もPiberはスペイン乗馬学校へ白馬の種馬を提供しています。

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